in factについて
お久しぶりです。約3ヶ月ぶりですね。今回は、マスニキ氏によるアドベントカレンダー、
の企画に則って書いていきます。
前日の記事は宮野さんの、
https://blog.miyacorata.net/imas/2018/12/goodbye-andromeda/blog.miyacorata.net
こちらの記事となります。僕もアンドロメダはとても好きです!なかなかどうして、あの歌詞はくせになる……。聞いてると泣く。
さて、僕のテーマですが、アイマスにハマるきっかけとなったin factについて書いていこうと思います。※独自解釈ばかりです、ご注意ください※
まずはタイトルから。in factは、直訳すると「実際には」となります。
それから歌詞を見ていきましょう。全体的に読み取ると、橘が素直になれない、それも特定の相手だけにそうなることがわかります。
うーん……違うなあ。こんなことを書きたかったんじゃないんだ僕は。歌を解釈する段階はもう終わったのだ。
ということで、僕がメラドDay2からずっと言っていることを書いていきます。
そう、in fact未完成論。
この説を提唱するきっかけとなったのは、メラド後にほぼ全員が「あれは完成されていた」と言っていたことからです。そこで僕はこう考えたのです。
そんな筈はない、橘は曲中ずっと悩み続けているんだ。悩みを抱える歌が完成されている訳がない。
そういう経緯で僕はこの理論を提唱するに至りました。
5th幕張で椅子に座っていた橘も、今回光の柱に囲まれていた橘も、未だその気持ちに答えを出すに至っていません。彼女が悩み続ける限り、この歌は歌われ続けることでしょう。これは、未だ橘のソロ二曲目が発表されないことにもつながっていくわけです。解の出ない悩み。その気持ちに名前が付いていたとしても、その理由が判明しない限りは橘はそこに止まり続けるでしょう。それが橘だから。
in factが「完成」するとき、それは橘が僕の手を離れる時だと考えます。悩みから開放され、何よりも強く、そして美しくなるであろう彼女は、その時点で僕を超えているのです。そうなってしまったら、僕はもう教えられることは何もないのです。
早く答えを出してほしいと思う半面、ずっとこのままでいたいという気持ちも持ってしまいます。それは賭け値抜きに、橘が好きだからと言えましょう。
以上の理由により、僕はin factは未完成であると考えます。未完成だからこそ美しい、完全でないから愛おしい。もちろん橘のソロ二曲目は聞きたいけどね。
次は、うたはるさんのアルストロメリア解説ですねー、よろしくお願いします!
……あれ?僕は曲について語っていたのか……?